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東京高等裁判所 昭和44年(う)2406号 判決

控訴人・被告人 日本チユーブ工業株式会社外二名

弁護人 儀同保

検察官 高田秀穂

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は各被告人の弁護人儀同保名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

一、論旨第一点、審理不尽理由不備の主張について

所論は、原判決は原判示第一の一、1.の事実につき、本件パークロルエチレンが労働基準法六三条二項、四項に基く女子年少者労働基準規則八条三三号の列挙する鉛、塩素等に準ずる「有害なもの」に該当することを専門的資料に基き認定すべきであるのに、そのことなく当然明白なものとして認定している点において審理不尽であり、理由不備であると主張する。しかし原判決が証拠として挙示する労働省労働衛生研究所長山口正義名義の労働基準監督官伊藤春一に対する「鑑定嘱託に対する回答」によれば、被告会社の洗浄装置内の加熱槽、冷却槽より採取した洗剤液及び未使用の同液がいずれも四塩化エチレン(別称テトラクロルエチレン或いはパークロルエチレン)であることを明示し、昭和三五年一〇月一三日労働省令第二四号有機溶剤中毒予防規則は労働基準法を実施するため同規則を次のように定めるとして、定義条文第一条に有機溶剤とは常温及び常圧のもとにおいて揮発性の液体であり、かつ他の物質を溶かす性質を有するもののうち別表第一ないし第三に掲げるもの及びこれらのもののみの混合物をいうと規定し、別表第二中に四塩化エチレン(テトラクロルエチレン、パークロルエチレン)を掲げているのである。そして有機溶剤による中毒事故の発生を未然に防止するための同規則第三二条は使用者に対し指定された有機溶剤に係る有機溶剤業務を常時行う屋内作業場について、その内部の空気中における当該有機溶剤の濃度を定期的に測定した結果及びその結果に基いて有機溶剤の中毒の予防措置を講じた場合にはその措置の概要を記録し三年間保存すべきことを義務付けているのである。このことは、本件洗剤四塩化エチレン(パークロルエチレン)を含め有機溶剤は厳重な管理下に置かなければこれを取扱う者が中毒を起す虞れのあることを認めているからに外ならず、女子年少者労働基準規則八条三三号にいう鉛、塩素等に準ずる「有害なもの」に該当すること明らかというべきである。この点の原判決の認定を審理不尽による理由不備と論ずる所論は採用できない。

二、論旨第二点ないし第四点法令の解釈、適用の誤りの主張について

所論は、被告人等は被告会社において使用していた洗剤クレハパークロが女子年少者労働基準規則八条三三号のガスを発散する有害なものに当るパークロルエチレンであることを知らなかつたのであるから、事実の錯誤により原判示犯罪の故意を阻却し、犯罪の成立を認め得ないのに、原判決がこれを認定したことは刑法三八条二項の解釈を誤りその結果労働基準法を誤つて適用したものであると主張する。

記録によれば被告人等はいずれもパークロ或いはクレハパークロと呼んでいた洗剤がパークロルエチレンであることを本件鈴木真の事故死に至るまで知らなかつたと弁じているが、被告会社に本件洗剤を納品した東京商事株式会社の竹嶋一広は原審証人として被告会社に対しクレハパークロのパンフレツト、呉羽化学より出されているパークロニユースを送付しており、担当者に対しパークロの有害性に関し説明していると供述し、記録編綴のパンフレツトによればクレハパークロの品質、物性、使用方法、取扱上の注意を詳細に記載し、商品名クレハパークロの実質がパークロルエチレンであることを明確に説明しているのである。したがつて、被告会社の代表取締役として、その業務経営担当の最高責任者たる被告人高瀬および本件洗剤を使用する金属チユーブ洗滌作業所を担当所管する同会社製造第二課長たる被告人波田野の両名が、その日常「パークロ」或は「クレハパークロ」と呼んでいた右金属洗滌用の洗剤が、前記パークロニユースやクレハパークロに関するパンフレツト等に解説されているパークロルエチレンであることを諒知していたと推認し得る根拠は十分であるのみならず、本件労働基準法違反罪の犯意としては、右金属チユーブ洗滌作業所において使用するクレハパークロと称する洗剤が「有害なガス等を発散するもの」であることの認識を有すれば、右「有害なガス等を発散するもの」の化学薬品名が「パークロルエチレン」であることを知悉する必要はないのである。すなわち、被告会社の金属洗滌作業所において使用していた通称「パークロ」或は「クレハパークロ」なる洗剤の正規の学名が「パークロルエチレン」であることを知ることは、本件違反罪の犯意の成立するためには必ずしも必要はないのである。所論は、原判決が「クレハパークロ」が「パークロルエチレン」と全く別個のものであるとの通念が存在しないとの理由により、被告人等は右両者が同一であることを認識していたとして、立証責任の判断を誤つた、と主張するのであるが、右両者同一の認識は本件違反罪の犯意成立のために必要ではないのであるから、原判決の右非違をとらえて、事実錯誤を主張する論拠とすることはできない。

被告人両名は、いずれも検察官に対し「本件金属洗滌作業所に発散するガスを吸引すれば麻酔状態に陥り、本件洗剤が有害ガスを発散するものであることは判つていた」趣旨の供述を繰り返えしながら、公判廷においては「麻酔性のあることは判つていたが有害とは思はなかつた」と供述し犯意を否認している。そして「麻酔性はあるが有害とは思はなかつた、と言うが、どう言うものがそれでは有害なのか」と反問されて「例えば猫いらずのようなもの」と答えているのである。有害の意義をそのように高度のものに固定して定義づければ、被告人らの公判廷における「有害とは思はなかつた」という供述も、首肯し得ないではない。しかし労働基準法が、成年労働者の作業所に許容し、ひとり年少労働者の作業所に禁じている「有害ガス」の意味は、一度で取り返えしのつかないような結果を招来する高度の危険性を有するものでないことは明らかである。新鮮な空気を吸えば比較的容易に回復はするが、換気を不十分にして長時間吸引してはならない。短時間で回復し、それだけなら目に見えた障害は起らないが、それでもそれを長期的、多数回にわたつて繰り返えすと健康状態に支障を来すおそれがある。作業所の換気につとめて留意し、長時間ガスを吸引しないようにという注意が、本件「クレハパークロ」についても無視してはならないものとされ、被告人両名は、自らの経験もあつて以上の有害性は十分に心得ていたことは記録上明認し得るところである。被告人両名が検察官に供述しているところは右の有害性についての認識をありのままに表明したもので、被告人らの本件違反罪の犯意を認定するに十分である。

被告人らは右のような有害ガスを発散する本件金属洗滌作業所において十八歳未満の年少者を稼働させてはならないという労働基準法ないし女子年少者労働基準規則の禁止規定の存在を知らなかつたことは記録上肯認し得るが、これは刑法第三八条第三項による法律の不知に当り犯意を阻却しない。本件違反罪は法定犯であるから、犯意あるとするには単に事実の認識のみでは足りず、更にその行為が法令により禁止されているものであることの認識がなければならないと主張する論旨も採用することはできない。

以上のとおり本件各控訴はいずれもその理由がないので、刑事訴訟法三九六条、三七八条、三八〇条によりこれを棄却すべく主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 関谷六郎 裁判官 寺内冬樹 裁判官 中島卓児)

弁護人儀同保の控訴趣意

第一点・原審判決における審理不尽及び理由不備

一、原審の認定した事実は「被告人波田野は被告会社のため行為するものであるが、昭和四三年五月一日頃から同年一一月八日までの間、満一八才に満たない労働者を有害ガスを発散するパークロルヱチレン(四塩化ヱチレン)洗剤を使用する金属チユーブ洗滌作業所において右洗滌の業務につかせ、また被告人高瀬は右のように被告人波田野が年少者にパークロルヱチレン洗剤を使用する金属チユーブ洗滌作業をさせている事実を知りながら、その是正に必要な措置を講じなかつた、」というのである。

そこで右事実における被告人らに共通する処罰該当の構成要件は「一八才未満の者に有害ガスを発散するパークロルヱチレンを使用する作業に就かせたこと」、にあり、高瀬はその是正措置をしないという点が付加されている形と言えよう。

右要件事実に関しては、被告人らに単に有害ガスを発散するもの、との認識があれば足りるとするのか、あるいは更にそれが有害があるパークロルヱチレンであるとの認識を必要とするかが、被告人の事実の認識の重要な問題として、充分に検討されなければならない。

二、ところで労働基準法第六三条第二項は、「使用者は満十八才に満たない者を……有害ガス……を発散する場所における業務に就かせてはならない」としているが、右有害ガスは一般的、常識的に有害の認識があれば足りるというものではないことは明かで、同条第四項で「第二項に規定する業務の範囲は……命令で定める」となつており、あくまでも法定事項なのである。そして右第四項のいう命令として、女子年少者労働基準規則の第八条がこれを定めているのであるが、右規則第八条は「左の各号に掲げるものとする」となつており、その第三十三号が「鉛、水銀、クローム、ひ素、黄りん、ふつ素、塩素、青酸、アニリンその他これに準ずる有害なもののガス、蒸気又は粉じんを発散する場所における業務」と定め、本件のパークロルヱチレンに関係あるものとしては「塩素」があるが、これは本件審理において検察官は、塩素そのものではない、としており、結局は「これに準ずる有害なもの」ということになるのである。

原審判決も右に挙げた条項を適用して判決しているのであるが、しかし右規則第八条三三号にいう「これに準ずる有害なもの」の内容について、また本件パークロルヱチレンが、ここにいうこれに準ずる有害なものに該るかどうかを示さず、何等の根拠なしにパークロルヱチレンが有害なものに該るのは明白であるとしているように考えられる。また一方前記労働基準規則のほかに「有機溶剤中毒予防規則」(昭和三五年労働省令第二四号)があり、その別表(二)にパークロルヱチレンが挙げられているのであるが、右規則別表(二)に表記されているのは、主として第二種有機溶剤としての品名を指定しその一般的許容度を示すに止まり、右規則指定品名であるからといつて、当然に前記労働基準規則第八条第三十三号の内容を特定しているものではないのであつて、右両者には必然的な関連性は存在しないのである。してみると本件パークロルヱチレンが右規則の三十三号に該当するかどうかにつき、更に専門的な見地からの資料に基づき、客観的に判断すべきであつたと思われるのに、これをしなかつたのは審理不尽というべきである。

第二点・原審判決における法令解釈、適用の誤り(一)(事実の錯誤)

一、また本件において問題とされるパークロルヱチレンは、通称パークロ又はパクロといわれ、特にクレハ化学作成のものは商品名としては「クレハパークロ」であり、これらパークロ、クレハパークロが果してパークロルヱチレンであるかどうか、これが正しくは化学名としてどういうものであるかについて被告人らは認識がなく(被告人高瀬竹松、同波田野昭男の各公判廷における供述)、従つてこれが仮に前記第三十三号の有害ガスを発散するものであるパークロルヱチレンであるとしても、パークロ、クレハパークロがそのパークロルヱチレンであるについての認識を有していないのである。

ところで前述のように本件の構成要件は、単に有害ガス一般ではなく、有害ガスを発散する特定の指定品名のものの使用であるから、本件においては、それが指定品であるパークロルヱチレンであることの認識が存在しなければならぬが、一般社会人や同種業種にしても「パークロ」という呼称からその「クロ」が「クロール」即ち塩素を示し、従つてパークロが前記三十三号の塩素及びこれに準ずるもの、に関係あるのではないかと考えるのは、化学について相当知識を有するものにして始めて認識可能であつて、被告人らは特にそのような知識を有つものではなく、且つ従来クレハパークロがパークロルヱチレンであるとの説明を受けたと認める証拠もなく従つて被告人らには何れもその認識がないのであるから、所定の構成要件の内容についての認識を欠くもの、即ち「事実の錯誤」があるものとして、故意が成立しないものといわねばならない。にもかかわらず原審判決は次に述べるように事実認定と訴訟法の適用を誤つたことから、右事実の錯誤の存在についての判断を誤り被告人らに有罪の判決を下したのは刑法第三八条第二項の解釈を誤つたものであり破棄を免れない。

本件についてはメタノールにつき「ただ身体に有害であるかも知れないと思つただけで犯罪に対する未必の故意ありといい得ないので……理由不備」とする判例(最高判昭二四・二・二二)が参照さるべきものである。

第三点・原審判決における法令適用の誤り(二)(挙証責任及び証拠裁判主義について)

なお原審判決は「パークロないしクレハパークロなるものが、パークロルヱチレンと全く別個のものであるとの通念が一般社会ないし同種業界に存在していたものとは認め難く、被告人らが正式の名称を知らないまま……略称していたに過ぎない」と認めて右事実の錯誤についての弁護人の主張を排斥しているが、右判旨は極めて顕著な誤りを犯しているのである。

(イ) その第一は構成要件は被告人を処罰することの要件の基礎的条件となるものであるから、論理としては「パークロないしクレハパークロなるものが、パークロルヱチレンと同一である」との認識が存在しなければ、右要件に該らないとしなければならない筈である。そもそも刑事訴訟においてはいうまでもなく「疑わしきは被告人の利益に」作用しなければならぬものであり、パークロないしクレハパークロはパークロルヱチレンと同一物との認識の存在の立証は、あくまでも原告官たる検察官の責任にかかつているものである。しかるに右事実の立証責任を顧慮することなく、「パークロないしクレハパークロが全く別個のものとの通念が一般社会ないし同種業界に存在していたとは認め難い」というのは、正に疑わしきは被告人に不利益に判断したものと言わねばならない。これは明かに刑事訴訟における挙証責任の判断を誤つたものとして破棄されねばならぬものである。

(ロ) 第二の誤りは原審判決は、前述のように「パークロないしクレハパークロなるものがパークロルヱチレンと全く別個のものであるとの通念が一般社会ないし同種業界に存在していたものとは認め難く」としているのは如何なる証拠に基く認定であろうか、判決の全文全旨を検討しても「全く別個のものであるとの通念」も、また「全く同一のものであるとの通念」の証拠を見出すことができない。従つてこの判断は刑事訴訟法第三一七条の「事実の認定は、証拠による」という、いわゆる証拠裁判主義の原則を全く無視したもので、当然に破棄しなければならぬものと思われる。

第四点原審判決における違法性の認識の判断と刑法第三八条第三項解釈の誤り

(イ) 本件において被告人波田野及び高瀬は、本件パークロが、やや麻酔性を有することから、有害であるかも知れないと考えたと供述している。(但しこの点も労働基準監督署及び検察庁における取調べが、「麻酔性があれば有害物と思うだろう」という押付けにより為され、その旨供述されたものとして調書が作成されたものであるが……II被告人らの公判廷調書記載)しかし、本件は労働基準法違反で、いわば法定犯であるから、その行為について故意ありとするためには単に事実についての認識では足りず、更にその行為が法令により禁止されているものであることの認識がなければならない。これは既に今日においては学界における通説であり、刑法第三八条第三項が「法律ヲ知ラサルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スヲ得ス」という文言通りに禁止法令に何等の区別なく故意を阻却しない、という説は過去のものとなつている。右両者を区別せず一切故意を阻却しないとする大審院以来の判例は改められねばならない。

(ロ) ところで本件パークロルヱチレンは、前述の事実の錯誤の点でも述べたように、有害ガスを発散する物質を使用することは、人体にとつて好ましくないものである。という常識的認識で足りるのではなく、その有害ガスを発散するものを使用する場所で、一八才未満の年少者を労働させてはならない、という相当多様な要件を要求するものであるから、少くとも有害ガス発散場所では法律的に特別な禁止制限がある、との認識がなければ故意が成立するとはいい難いものである。また一方法令としては労働基準法の段階は、わが国では特別に労務係等を設けていないことを常態とする中小企業でも、ようやく浸透したと思われるが、右法の下位法である規則や施行法令については、企業経営者や担当者は全く知るところがなく、また知らされることも殆どないという現実である。本件においては被告人高瀬の供述にあるように、バークロが有機溶剤であるとの話は聞いたとあるが、それが女子年少者、一般労働者にどのような問題があるかについては、これまでも一切知らされたり知る機会がなかつたのである。してみればこうした女子年少者労働基準規則の内容までが、一般的、社会的に認識されているとは到底言い難いのであり、一般的に有害ガス使用労働が、当然に反社会性行為として認識されており違法性をもつ行為である、とは言い難いと言わねばならない。

(ハ) また被告人らの行為は、そうした禁止法令を知らなかつた、という以前の問題であつて、本件の状態において労働させることが違法性をもつものであるかどうかについて、少くとも未必的にも認識あつたとしなければ、故意が成立するとは言えないものであるが、本件では被告人らはそうした禁止された行為であることの認識を全く欠いているのであるから、法定犯における違法性の認識を欠くものとして故意を阻却するものなのである。

右の点について何等考慮することなく、慢然故意ありと認定し有罪の判断したのは、審理不尽であると共に、刑法第三八条第三項の解釈を誤つたものとして破棄さるべきである。

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